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執筆者の写真kishida ken

Ⅳ号戦車その3


どうもキシダ模型でございますm(__)m 今日は昨日から一転して、いい天気! 気持ちいいですなぁ(*´ω`) 今日は、4号戦車その3です よろしくお願い致しますm(__)m その1 その2 強力なソ連戦車に対抗するため、75mm長砲身を装備したF2型が42年3月ころより生産に入ります。 このⅣ号戦車F2型はソ連軍と対峙していた東部戦線はもとより、北アフリカにも送られます。


北アフリカで連合軍が使用していた戦車をアウトレンジから撃破できる能力をもつF2型は、英軍から”マーク4スペシャル”と呼ばれ、恐れられました。

このF2型、後にG型と改称されるのですが、戦車ファンの間ではG型の初期生産型をF2型と呼ぶことが多いです。


この赤丸部分の主砲マズルブレーキが単孔式のものをF2型


複孔式になったものをG型と区別している。

と思います・・・(;・∀・) さてさて

ソ連戦車にも対抗できる砲を装備したⅣ号戦車 本来、Ⅳ号戦車は火力支援を担当する戦車だったわけですが、主力のⅢ号戦車は車体が小さいため60口径50mm砲(これでもT-34に対しては威力不足)以上の砲を搭載することが難しく。 Ⅳ号戦車が主力の座につきます。 Ⅳ号戦車G型は生産途中に様々な改良が施されます。 まず、車体前面に耐弾性向上のため30mm厚の増加装甲板が取り付けられます。


43年4月からは、主砲が43口径から48口径に長砲身化されたものに換えられ シュルツェンと呼ばれる、薄鋼板を砲塔周囲と車体側面に装備する様になります。


このシュルツェンはソ連の対戦車ライフルの射手が砲塔のハッチ、監視孔、車体側面下部などの脆弱な部分を狙撃してくるのに悩まされていた対策として取り付けられました。

同じく43年4月からはトランスミッションを新型へ換装したH型の生産も並行して開始されました。


1943年に入ると新型中戦車パンターの生産も開始されますが、Ⅳ号戦車の生産ラインをパンターの生産ラインに転換する余力は無く、Ⅳ号戦車は続けて生産されます。


H型も生産途中で様々な改良が加えられましたが、戦況が逼迫してきたため、多くは生産の簡略化に関するものでありました。 そして44年6月にはⅣ号戦車シリーズの最終型、J型の生産に切り替わります J型は改良というよりは、H型の生産簡略化バージョンで大きな違いは砲塔旋回が電動から手動に変更され、砲塔旋回用の補助発動機が廃止された点でした。


生産途中で車体のシュルツェンも、トーマシールドと呼ばれるバズーカ等の成形炸薬弾対策に効果を絞った金網状のものに変更。 Ⅳ号戦車は、信頼性の高い構造、発展性のある余裕があった車体サイズのため、このように改良が加えられドイツ敗戦の間際まで生産は続けられました。 ドイツ戦車兵からは軍馬の愛称で呼ばれ、開戦から終戦まで第一線で活躍しました。 第二次大戦は終わりましたが、Ⅳ号戦車の戦いはもちっと続きます。 終戦後、フランス、チェコスロバキア等のドイツ占領下にあった国々は自国内にドイツ軍が残していった装備を接収し利用します。 それも終戦後数年のことで余剰となっていたものを中東のシリアが購入します。 その中にはⅣ号戦車も相当数含まれており、これらのⅣ号戦車は数度にわたるイスラエルとの戦闘にも投入され、1967年の6日間戦争まで使用されました。


↑不肖岸田作 4号戦車シリア軍(ホビージャパンMOOKミリタリーモデリングマニュアル”イスラエル戦車編"作例) 続く・・・ え・・・終わりじゃないの・・・(;・∀・) それでは、本日もオープンしておりまーす!! ご来店お待ちしておりますので、本日もよろしくお願い致しますm(__)m したらねー( `・∀・´)ノ


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