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執筆者の写真kishida ken

アウディクワトロその2

どうもキシダ模型でございますm(__)m ガラガラすぎて、なんもネタがないので 今日も皆さん1mmも興味がないであろう アウディについての駄文を書きたいと思います 前回 当時のWRC(世界ラリー選手権)はグループ4 特殊グランドツーリングカーという車両規則で行われていました グループ4とは 連続する24か月間に400台以上生産した車を、ベースとして使用してもいいよ というものでありました アウディクワトロは80年初頭から販売が開始され、8月にはグループ4の公認をとる予定でしたが、生産が遅れ・・・81年1月にやっと公認がおりました クワトロは当初、45人の職人さんたちが1台1台手作りで生産していたらしいです・・・

81年からWRCに参戦開始。 第1戦モンテカルロラリーでは序盤でミッコラが2位以下を6分以上引き離しましたが、トラブルで脱落 第2戦スウェディシュラリーで、一度も首位を譲ることなくミッコラが優勝 しかし、その後はトラブルが続きサンレモでムートンが1勝を挙げるも マニュファクチャーズランキング5位でシーズン終了

82年からはスウェーデン人のスティグ・ブロンクビストがアウディスポーツに加入 スウェディシュラリーでブロンクビストが優勝。 シーズン途中から、フロントヘビーな車だったためアルミブロックのエンジンを投入し、マシンバランスの改善を図りました。 このシーズンはムートン3勝、ブロンクビスト2勝、ミッコラ2勝をあげドライバータイトルこそオペルのヴァルター・ロールに奪われてしまうものの、参戦2年目でマニュファクチャータイトルを獲得。 82年は翌年から車両レギュレーションがグループ4からグループBに変更されるため混走となり、シーズン後半に初のGr.Bマシンのランチアラリー037が登場した年でもありました グループBは連続する12か月間で200台生産した車をベースに使用可 というグループ4よりはだいぶゆるいものに変更されました さらにWRCでは ワークスカーとして選手権に参戦する車両となるエボリューションモデル20台をラリーカーとして認める という条項が追加されたことから 過激なラリー専用のプロトタイプみたいなマシンが後年登場するわけであります

83年はアウディもクワトロA1としてグループBに登録 アウディVSランチアという構図となりました。 グラベルステージでは4駆のアウディ、ターマックではランチア この年もアウディはシーズン途中で、新型エンジン、各部に改良、軽量化を施したクワトロA2を投入します。 しかし、ターマックステージではランチアには敵わず、ハンヌ・ミッコラが初のドライバーズタイトルを獲得するも、マニュファクチャーズタイトルはランチアのものとなりました。

つづく・・・ それでは、本日もオープンしております! 本日もご来店お待ちしておりますので、よろしくお願い致しますm(__)m したらねー( `・∀・´)ノ

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